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「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」とは?格言の意味や引用した漫画各作品について

深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ

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「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」

漫画やゲームに親しい人なら、誰もが一度は聞いたことのあるこのフレーズ。

では、その意味について詳しく考えたことはあるだろうか?

そう言われてみるとなんとなく分かりそうな気もするが、どこか要領を得ないような感覚にとらわれるかもしれない。

数多くの作品に引用されて止まないこの言葉の本当の意味は、あまり知られていないのが現状だ。

今回はこの言葉の「深淵」についてもう少し深くのぞきこんでみよう。

目次

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」の意味と解釈

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」とはフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェが残した格言だ。

その解釈は多岐に渡るが、単純に考えれば「乗り越えるべき障害を逆に受け入れてしまわないよう気をつけろ」という警告といえる。

この言葉には、例として次のような出来事が当てはまる。

  • 犯罪者を追いかける刑事がその思想に感化されて凶悪になる
  • 精神病患者の家族が患者と似たような症状を発症してしまう
  • 生徒指導の先生がヤンキーと接しているうちに不良っぽくなる

などなど、本来乗り越えるべき困難に自分自身がなってしまうケースに警鐘をならすための言葉だ。

日本語で一番近い意味の慣用句をあげるなら「ミイラ取りがミイラになる」だろうか。

「ミイラ取りがミイラになる」とは?
ミイラを取りに行った探検家が命を落とし、逆に自分がミイラになってしまうというたとえ話から、本来説得するべき相手の意見に同調してしまうことを意味する

ニーチェが生きていた時代の学者たちは世の事柄を分析するとき、かなり自分たちに都合のいいように自然を解釈していたといわれている。

この格言はニーチェがこれに憤慨して苦言を呈した結果なのかもしれない。

ネット上ではより浅く「観察者が観察対象から影響を受けてしまうこと」くらいの意味で使われていたりもする。

また、「人を呪わば穴二つ」のように行いが自分に返ってくることの比喩としても使われるようだ。

「人を呪わば穴二つ」とは?
他人の命をおびやかそうとすると、その報いとして自分にも同じことが起こるため、墓穴が二つ必要になる。他人に害をなそうとすると、自分にも悪いことが起こることを意味する

もちろん、どれもひとつの解釈の域を出ないことには留意していただきたい。

格言「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」とは?

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」という格言は、ニーチェの著作「善悪の彼岸」の第146節で登場した。

「善悪の彼岸」とは著書であり、フリードリヒ・ニーチェの代表作の一つである。

当時の哲学や宗教が、道徳、つまり善悪の価値観について盲目的に受け入れていると批判した上で、その先の領域(=善悪の彼岸)について論じた本だ

内容は詩的とも言えるほど軽快な文体で綴られている一方、当時の哲学を全否定するような極度に批判的な部分も目立っており、なんとも不思議な作品になっている。

ニーチェがその時代において「異端児」と呼ばれることもあるほど革新的な考えを持っていたことを納得できるだろう。

まだニーチェを読んだことがないという人が最初に読むなら「善悪の彼岸」がおすすめだ。

善悪の彼岸 (岩波文庫)

格言を残したフリードリヒ・ニーチェとは?

フリードリヒ・ニーチェ

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは19世紀に活躍したドイツの哲学者だ。

「超人」や「永劫回帰」などの概念を生み出し、その後の哲学の系譜にも大きな影響を与えたことで知られている。

真面目な性格で交友関係も広く、作曲家のリヒャルト・ワーグナーなどとも親交があったらしい。

とはいえ、当時の記述を見る限りかなり激しい人間でもあったようで、ワーグナー含め多くの友人と破局に近い別れ方をしていたようだ。

晩年には警察のお世話になることもあり、ほとんど発狂に近い状態で孤独に人生を終えたといわれている。

時代の流れを変えるためには、これくらいの勢いが必要なのかもしれない。

その他フリードリヒ・ニーチェの残した名言・格言

ニーチェは「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」以外にもさまざまな名言・格言を残している。

中でももっとも有名なのはこれだろう。

”神は死んだ”

ニーチェの著作「ツァラトゥストラはかく語りき」にて主人公が言い放った言葉だ。

この言葉によって、ニーチェは「神」を人の負の感情が作り出したまがい物であると断じた。当時のまだまだ宗教が盛んだった時代背景を考えると、非常に痛快な怖いもの知らずの言葉といえるだろう。

ツァラトゥストラはかく語りき

”あなたが出会う最悪の敵は、いつもあなた自身であるだろう”

ニーチェが自分に厳しい人物だったことがよくわかる格言だ。

人が覗き込んだ深淵に飲まれてしまう原因は自分自身の弱さであることも多い。

そのとき、この格言は我々が立ち向かうべき困難とは己自身であることを思い出させてくれる。

”轢かれる危険が最も多いのは、ちょうど一つの車を避けた時である。”

非常にユーモアのある格言だ。

一安心したときが一番危ないということは、誰にでも覚えがあるのではないだろうか。

また、ニーチェはこうも言っている。

”人生を危険にさらせ。” さまざまな解釈ができるだろうが、ニーチェのストイックな価値観が伝わってくる言葉だ。

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」の原文の続き・読み方

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」には、実はあまり知られていない前の節が存在している。

「深淵をのぞく時~」の原文

怪物と戦う者は、自分もその怪物とならないように用心するがよい。そして、君が長く深淵を覗き込むならば、深淵もまた君を覗き込む。

引用:『善悪の彼岸』岩波文庫、ニーチェ著、木場深定訳

全体を見ると、よりニーチェの伝えたかったことがより分かりやすくなる。

怪物と戦うために怪物となってしまったら、誰がその怪物と戦うのか?

また、原文はドイツ語のため翻訳次第では以下のように書かれることもある。

  • 深淵をのぞく時、深淵もまたお前を見返しているのだ
  • おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ
  • 深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ
  • 汝が久しく深淵を見入るとき、深淵もまた汝を見入るのである

とはいえ、どんな言い方でも大元の意味は一緒だ。

「深淵をのぞく時~」の読み方

読み方は「しんえんをのぞくとき、しんえんもまたこちらをのぞいているのだ」。

深淵の「淵」は常用漢字表にもないため、公的な文章に書くときはひらがなで書いたほうがいいかもしれない。

あわせて読みたい

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」を英語・ドイツ語で

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」は英語では次のように綴られる。

英語で「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」

Beware that, when fighting monsters, you yourself do not become a monster… for when you gaze long into the abyss. The abyss gazes also into you.

また、原文であるドイツ語では以下のようになっている。

ドイツ語で「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」

Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein.

ドイツ語版の「善悪の彼岸」はすでに著作権が切れているため、以下のページで無料で読むことも可能だ。

Project Gutenberg
Jenseits von Gut und Böse by Friedrich Wilhelm Nietzsche Free kindle book and epub digitized and proofread by volunteers.

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」を引用した漫画やアニ作品など

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」は多くのアニメや漫画にも引用されている。

実際、この言葉を知ったきっかけがこうした創作物という人も多いのではないだろうか。

ここでは各作品でどのように引用されているか紹介しよう。

ベルセルク/日本の漫画・アニメ作品

ベルセルク」は、中世ヨーロッパを舞台にしたダークファンタジーである。

作中26巻において魔女のシールケが、闇をのぞこうとした場面で引用された。

この場面では「深淵」が「闇」に置き換えられている。

風の谷のナウシカ/日本の漫画・アニメ作品

風の谷のナウシカ」は、言わずと知れた宮崎駿のアニメ映画だが、「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」が登場するのはあまり知られていない漫画の方。

6巻にて光と闇の間を漂うナウシカを見た森の人セルムが発言した。

こちらも「深淵」を「闇」と言い換えている。

今までも王蟲と交感した者はいた。しかし王蟲の心の深淵までのぞいた者はいない。もろい人の心は深淵の前に砕けてしまう。闇を見る者を闇もまたひとしく見るからだ

引用:風の谷のナウシカ

PSYCHO-PASS サイコパス/アニメ作品

PSYCHO-PASS サイコパス」は、人間それぞれが持つ危険度を「犯罪係数」という形で数値化できることによって、人が犯罪を犯す前に裁くことができる社会を描いたディストピア作品である。

冒頭から作中で引用されているだけでなく、しっかりとストーリーにもなぞらえられており興味深い。

PSYCHO-PASSは犯罪者と接触するうちに影響を受けて自分らの犯罪係数も上がってしまう、という危険と隣り合わせの中で活躍する刑事たちの物語だ。

まさに「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」という格言がピッタリなストーリーではないだろうか。

この素晴らしい世界に祝福を!/ライトノベル・アニメ作品

ライトノベル作品「この素晴らしい世界に祝福を!」の登場人物の一人である「めぐみん」が第2話の初登場時に発言。

あまりの強大さゆえ世界に疎まれし我の禁断の力を汝も欲するか?
ならば我と究極の深淵をのぞく覚悟をせよ。
人が深淵を覗くとき深淵もまた人を覗いているのだ。

引用:この素晴らしい世界に祝福を!

このめぐみんは紅魔族の少女という設定以外に極度の中二病という属性も持ち合わせているため、この発言自体には特に意味はないと思われる。

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」という言葉が、思春期の少年少女を虜にして止まないことを若干揶揄しているのかもしれない。

たしかにかっこいい言葉ではあるのだが。

ダークソウル/ゲーム作品

ダークソウル」は、フロムソフトウェアから発売されているダークファンタジーRPGゲームだ。

この作品に登場する人間は、呪いによって不死者となっている。不死となった肉体はいつまで経っても死ぬことはない。しかし、やがて物事を考える器官が衰え、他者の「ソウル」を求めてさまよう亡者となってしまう。

主人公は不死者としてゲームがスタートするが、他者のソウルを奪うことで生者として復活することができるが、同様に他の亡者たちからも狙われることになる。

また、ゲーム内に「深淵の穴」というマップや「深淵歩きのアルトリウス」「深淵の主マヌス」といったキャラクターが登場する。

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」。

この言葉がゲーム中でそのまま引用されることはないが、ダークソウルシリーズの退廃的な世界観が醸し出す雰囲気や、深淵歩きのアルトリウスの在り方をみるに、格言が基となっていることは間違いないだろう。

世界樹の迷宮/ゲーム作品

世界樹の迷宮はATLUSより発売されたニンテンドーDS用のゲームだ。

登場するのは「世界樹の迷宮Ⅲ 星海の来訪者」

賢者の言葉として石碑に刻まれた形で登場する。

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」が基となったインターネットミーム

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」はネット上でもよく使われている言葉だ。

ただその難解さのせいか元のシリアスな意味はほぼなくなっていることが多い。

有名なインターネットミームをご紹介しよう。

「深淵を覗く時、暗くてよく見えないのだ」/Twitter

Twitterにて突如投稿された一文。

なんてことない呟きだったのだが、ものすごくバズってしまっている。

そのうち当該ツイートを基にした漫画を描く人まであらわれる始末。

よく分からないが、大したことを言っていないことは確かだ。

「深淵を覗き込む時、深淵を覗いているのだ」/5ch(2ch)のコピペ

ネット掲示板2ch(現5ch)に書き込まれた「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」の誤用。

288 名前:名無しさん必死だな[] 投稿日:2012/03/12(月) 20:53:20.54
俺はチェッカー嫌いなんだけど
ここまで個人に粘着するやつにはさすがに使わせてもらうわ
お前この言葉知ってるか?
「深淵を覗き込む時、深淵を覗いているのだ」

引用:5ch

これだとただの「深淵をのぞいているだけの人」になってしまう。

しかし、けっこう流行ってしまったらしくGoogleに打ち込もうとしたとき検索候補に表示されるほどに。

たしかに元の格言は文の前半と後半がよく似ているので、こんな風に間違って覚えてしまうことも理解できなくはないだろう。

それに、これくらい適当なほうが深淵に飲まれずに済むのかもしれない。

ハム太郎「深淵を覗くとき、足元をよく確認するのだ。」/5ch(2ch)のスレッド

こちらもネット掲示板2ch(現5ch)に立てられたスレッドのタイトル。

煽りん坊将軍
ハム太郎「深淵を覗くとき、足元をよく確認するのだ。」 : 煽りん坊将軍 1 名無しの煽りん坊 落ちると怪我するのだ (o'ω'n)

とかく80年代後半から90年代くらいにかけて生まれた人たちは、語尾に「のだ」がついているとどうしてもハム太郎を連想してしまう呪いにかかっている。

これもハム太郎という「深淵」だからこそなせる技なのだ。

まとめ:深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」はその言葉の難解さとは裏腹に、さまざまなシーンで引用されてきた。

その理由は「単純に響きがかっこいいから」だけではなく、この言葉の「奥行き」に由来するものでもあるだろう。

聞く人によってさまざまな意味を持つ可能性のあるこの言葉は、今後も多くの人々に愛されていくはずだ。

あなたが何かに立ち向かわなければならなくなった場面では、ぜひこの一文を思い出して自分なりの意味を探してみてほしい。

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